中国語では大酒飲み、酒豪のことを「海量」という。
何年か前、西安で一海知義先生を囲む宴会があり、それに出席させていただいたことがある。
一海先生は宴のはじめにあいさつに立たれた。あいさつは中国語である。私は一海と申します。一海の一は「一、二、三」の一、海は「海量(ハイ リャン)」の「海(ハイ)」です、と自己紹介された。先生が「斗酒猶辞せず」という酒豪でいらっしゃることを知っている人はみんなこれを聞いて「うまい」と思わず膝を打って笑った。
調味料 よく知られているように、中国で造られ、飲まれているお酒と言えはビールやワインのほかに蒸留酒である「白酒」と、醸造酒である「黄酒」とがある。
同じ中国でも北と南で人々のお酒の好みが違っていて北は白酒、南は黄酒が好まれる。厳密に言えば南の人は黄酒を大変好むが白酒も飲む。しかし北の人は律儀なのか白酒だけを飲み、黄酒は飲まない。
北と南の境はどこかというと、西安の南に横たわっている秦嶺山脈である。私の住む西安は秦嶺山脈の北だから皆さん白酒を飲む。黄酒は全く飲まない。いや、いまは少し違うので正しくは飲まなかったというべきかも知れない。
7,8年ほど前には全くなかったことだが、最近は西安のスーパーマーケットにも黄酒の紹興酒が置かれるようになった。
西安の学校に入って間もないころ、同じ留学生寮にいる若い留学生たちと顔つなぎにお酒でも飲もうと思い、学校の近くの海星というスーパーへ紹興酒を買いに行った。ビールもワインも白酒もたくさん並んでいるのだが紹興酒はない。店員に「紹興酒はないのか」と聞くと、付いて来いと手招きして案内してくれた。行った先はお酢や塩や豆板醤などが並んでいる調味料の棚だった。学校に帰って弁公室の人に話したら、「紹興酒は飲むものでない。料理に使うものだ」と笑われた。
西安に来られた友人のお供をして一緒に観光地を回ることがある。昼食や夕食のテーブルに着くとみなさんは「中国に来たのだから本場の中国の酒を飲もう」と言って、大概紹興酒を注文される。
日本人観光客がよく利用するホテルやレストランでは日本人の注文を予想して紹興酒をおいているようだが、フトコロの関係で私が友人を案内するのは地元の人が日常使うようなレストランである、こういうところには紹興酒などおいていない。それで注文された人にその都度お詫びをしたり、説明に追われたりする。
白 酒
(写真は 白酒 )
大概の日本人が中国の酒といえば紹興酒といい、白酒の名を挙げない。それは白酒のことをあまり知らないということもあるだろうが、知ってはいても白酒があまりにも個性的で、日本人の味覚の予想をはるかに越えているので避けているためではないだろうか。
白酒は香りが強い。有名な山西省の「汾酒」や、陝西省の地酒である「西鳳酒」のように「清香」という香りのやさしいものもあるが、それでも日本酒などとは比べ物にならないほど香りは強い。ほとんどの日本人はまずこの香りにびっくりし、躊躇する。確かに慣れないうちはつんと鼻に来る。しかし慣れてくるとこの香りがたまらない。ワインは香りを大切にするようだが、白酒もワインと同じで香りが大切だし、魅力の一要素である。
白酒が日本人に敬遠されるもう一つの理由はアルコール度数の高さである。私がいつも飲んでいるのはおおむね55度前後のものである。もっと度数の高いものもある。秦嶺山脈の山の中に商洛という町があって、そこが在所だという同僚があるとき「故郷に帰って来ました。地酒です」と言って白酒をくれた。名前は忘れたが度数はよく覚えている。65度であった。
天津の友人がお土産に持って来てくれた琅邪台という酒は70度だった。どちらも恐る恐る飲んでみたが香りも味もさわやかで、実においしかった。
滄 桑 中国では最近、ビールやワインが非常によく飲まれている。とりわけビールは人気が高く、その筋の統計によると昨年中国人が飲み干したビールの量は3931万キロリットルで6年連続の世界一だという。因みに日本の消費量は631万キロリットルとのことである。
一方、白酒はと言えばその生産量は年間300万キロリットル前後、減少傾向である。2000年代初めには400万キロリットル以上も造られていた。白酒が大きな顔をしていた北の地方もビールに主役を奪われている。それで造酒屋さんは度数の低いものを作ったり、瓶の意匠に心を砕いたり、広告に力をいれたりと苦心惨憺しているようだ。
度数で言えば最近は40度以下が主流で、私が愛飲している55度クラスのものはお店でも片隅に追いやられている。長年の白酒党としては少々寂しい。そこまでして消費者に媚びるな、という思いもあるが、商売をしている人はそんな感傷的なことは言っておれないのだろう。
中国の本を読んでいると「滄桑」ということばがよく出て来る。「滄海桑田」(滄海変じて桑田となる)という言葉を縮めた語で、世の移り変わりの激しさをいう言葉である。西安の街はいままさに「滄桑」であるが、酒の世界もまたその様相である。
軽 さ 人心が白酒を離れてビールにつくのは軽さを好む世相のあらわれかも知れない。中国人の世界観や文化的、思想的志向の変化が酒の好みの変化にあらわれている、といったら飛躍しすぎているだろうか。
軽さのことをいうなら日本でも最近は軽さが好まれているようだが、この軽さを好む世間の風潮に媚びて、政権与党は軽さが売りの麻生太郎さんを推し立てて首相にした。クルマにまで漫画本を積んで得意気にテレビに撮らせたり、マスコミによれば「オレは新聞なんぞ読まねえ」と公言したりしているというこの方は、確かに性格も思考も軽い。しかし、軽いけれどビールのようには人気が出ず、どちらかと言えばそのうちビールの泡のようにはかなく首相の座から消えそうな様子である。
酒 海
(写真は上海博物館所蔵の酒海)
ところで「海量」という言葉について私は勘違いしていた。ついこの間までこの言葉は「大酒飲みの飲む量は海に匹敵する」という意味、要するに大きいもの、凄いものの譬えに海を使った白髪三千丈式の大げさな譬えだと思いこんでいた。ところが先だって中国の友人がそれは違うと私の蒙を啓いてくれた。
中国では古代、大きな酒器を「酒海」と呼んだという。大酒飲みは「酒海」の酒を飲みつくすという意味で「海量」というようになったということである。海水の量ほど飲むということでなかったようだ。
上海博物館に宋代に作られた陶製の「酒海」があるそうだ。まだ実物を見たことはない。友人がその写真を届けてくれた。それを見ると高さ43センチ、胴回りは底が9センチ、太いところで30センチほどの大きさである。胴に「酔郷酒海」と書いてある。古代の酒海と同じ大きさなのかどうか知らないけれど思ったほど大きくない。最近は酒量も落ちていらっしゃると思うが、これ一杯くらいの酒だったら昔の一海先生なら一気に飲み干されただろうと思った。

( 奥 野 有 造 )